ジャグラー!負けないドン記!

ジャグラーで負け続けた悔しさから、独自の自問自答法でドン底からハイ上がる。勝つことより負けないこと。スタートは負けないこと。楽しく生きることが、ゴールです。

ジャグラー花火は普通じゃない

こんにちは 

ジャグラー大好きな、ポジオです。

 

『昨日は光りっぱなしよ!』

『凄かったわ』

『久しぶりに熱かった!』

『これでもかって言うぐらい、見てて怖くなったよ』


道端でこんな会話が耳に飛び込んできて、思わず足が止まってしまった。

真っ先に『昨日はジャグラーの日だったのか~!』と残念がってる自分の頭は、やっぱり普通じゃない。

よくよく聞くと、なんてことなく先日のゲリラ豪雨の一部始終の話題。

稲妻が光り猛烈な雷雨のなか、大粒のヒョウが降ってくる様子を、ノストラダムスの大予言に出てくる『恐怖の大王』が降臨してきたんじゃないかぐらいに、おばちゃん達の井戸端会議はヒートアップしていた。


光りっぱなしよ


それにしても、このフレーズ・・・

妙に耳から離れなかった。

 

隅田川の花火大会が催される頃は、あちこちでも華やかな花火が打ち上げられ、夏の風物詩になっている。

花火は、めちゃめちゃ好きってほどでもないけど、ついつい目を奪われ、見とれてしまうと言うか、見入ってしまう。

 

なぜなんだろうか・・・。

 

綺麗だから?

華やかだから?

パッと咲いて夜空に消えてゆく

夜空を彩る、一瞬の光りの競演

見入ってしまうのは、たぶん『光りっぱなし』じゃないから・・・

消え行くものはなんとなく『美しく』そして『尊い』ものに見えるからなんだと思う。

 

毎朝、枕元に抜け落ちてる『抜け毛』を数えるたびに、消え行く尊さを実感するのと同じである。

また、数えきれないほどに消えていった諭吉もまた同じ・・・カムバック!

消え行くものは尊いものであり、儚いものなんだと・・・


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人は誰でも心のどこかに夜空がある。

不安や悩み、後悔と言った感情を、そっとしまっておく場所。

普段明るく悩みなんてなさそうな人でも、いつも笑顔を振りまいて周りに幸せを与えてくれる人でも、総理大臣だろうが、大統領だろうが、子供だろうが、お年寄りだろうが、その人なりの夜空がきっと存在している。

見上げている夜空と、心の夜空が同化して、まるで自分の心に灯がともっているような感覚になり、その光景はとても他人事とは思えなくなる。

まばゆい輝きが希望と勇気を与えてくれるんじゃないかと。

早く次の輝きが見たい!

次第に夜空のキャンパスを独り占めしたい心境にかられ、いつしか期待から欲望に変わってく自分がそこにいる。

 

そう、独り占めしたい・・・

 

独り占めと言ったら、正面にある小窓にしか美しいペカが映し出されず、隣からは決してを見ることができない、あのマイジャグに敵うものはない。独り占めできる至福の時である。

早く次のペカが見たい!


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マイジャグを考えた人は、きっと花火師を目指していたか、花火が大好きだったに違いないとさえ思えてくる自分の頭は、やっぱり普通じゃない。

話が脱線してしまったが、花火もジャグラーも魅了する本質は同じではないかと思った。

 


隅田川の花火は、八代将軍吉宗が大飢饉とコレラ悪病退散を祈願して、毎年川開きの水神祭に打ち上げられたのがルーツとのこと。もとは『お祓い』の意味が込められている。

数秒の命でもある花火そのものも、職人さんの手で、ひとつひとつ手間隙かけて作られている。

美しいものには、それなりに伝えるべき意味を持っていて、意味を知って初めて価値観が変わる場合も多く、あらためて美しさや尊さを再認識させられたりするものだ。


人それぞれに価値観が違い、尊いものも当然違ってくる。

今は価値がなくても将来は価値あるものに、またその逆もあったり。

 

周りや他人の価値観に押し流されていないか・・・

今の自分にとって本当に必要で価値あるものは何なのか・・・

本当は身近にある『尊さ』に、ただ気付いていないだけなのではないのか・・・

光りっぱなしフレーズから尊さ論にまで展開する自分の頭は、やっぱり普通じゃないのか・・・

そんなことを花火写真を見ながら悶々としていたら、冒頭のおはちゃん達にとって、きっと井戸端会議で花を咲かせることが最も尊いものだったのではないかと思えてきた。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。